資源の希少性と「足るを知る」経済 ~3.11から15年を経て~

経済学の勉強をしようと、教科書を開きました。

どうやら経済学では「資源の希少性」を原理の一つとして掲げているそうです。
多くの主流派経済学の教科書にも、最初のほうによく書かれています。

いったん受け入れて、読み進めていけばよいのだと思うのですが、どうにも引っ掛かってしまいます。
何故なら、資源の希少性は、無限の欲求・欲望を前提にしているからではないのか、と思うからです。

現実の人間、生物の欲求や欲望は、無限ではありません。途中で飽きるし、ほどほどで満足するはずです。
必要概念で資源を捉え直すと、実はそれなりに豊富である可能性もあるのではないか、と思いました。

こんなことを考えていると、そこそこ時間が経過しますし、前提に納得ができないため、勉強の意義を見出せず、結局モチベーションを維持できずに、途中で勉強をやめてしまいます。

なんとなく尤もらしいことを語り、GDPを増やすことが経済成長なのでしょうか。
本当の豊かさとは何なのでしょうか。
そのために、どこまで原発が必要なのでしょうか。

あれから私たちは何を学び、どう変わったのでしょうか。

宛てのない手紙

純粋でまっすぐなその誠実さは、むしろとても素敵だと思います。

ただ、その誠実さが、真価を発揮できるまでには、まだ、世界の側が成熟してはいないと思うのです。どうしても、現実的なリスクが避けられない場合があります。

行為の影響などの、現実的リスクを踏まえた誠実さが、現状どうしても求められてしまう。だからこその、お手紙の内容というのが、私の主訴でした。

 

複数人による非難や、脅迫的な文言も見ました。被害も、恐らくありました。
その被害者に対しての追い打ちのような文言も、見られました。
それらは、私には、ただのプロレスとして受け止められるものには、見えませんでした。
私の、好きで素敵な世界が、音を立てて崩れていくようで、悲しくなりました。
どうしても何もせずにはいられなかった、ただそれだけでした。

 

最初のお手紙の真意としては、
自我を出してはいけない、というものではなく
お気持ちというレッテル貼り、をしたいものでもなく
ましてや
敵対的感情に基づく苦言、というものでも、ないつもりでした。

現実世界の未熟さと危険性を踏まえたうえでの、もう少しマイルドで、みんなが穏やかに受け入れやすい方法も考えてみませんか、という提案のつもりでした。

 

そもそも、敵視しているのであれば、わざわざあんな閉鎖的手段を通じて、自身の名前を明記し、伏せて伝えてほしいという言葉を添えて送ることなどしません。
もっと開放的な、直接的な伝達手段で、粗雑に伝えます。
そんな相手のために、あんな長文を書いたりはしません。

 

賢いは優しい。自分の居心地の良い振る舞いと、周りに気を遣うことの両立。
いつの日か、それを体現される時のための一助になれることを願い、筆を置くこととします。

【読書感想】『カウンセリングとは何かー変化するということー 東畑開人』簡易感想

こちらの本の簡易的感想です。

ざっくり内容紹介

カウンセリングという、統一的な基盤がなく、複雑怪奇で不可解な営みを、何とか体系化し、日常な言葉に落とし込んでわかりやすく説明しようと試みた本、です。

カウンセリングとは本来的に個別的なものであるが故、本書では、事例を通して具体的な流れを紹介しながら、帰納的に、徐々に輪郭を浮かび上がらせていく構成になっています。

簡易感想

コミュニケーターとしての価値ある1冊

以前感想を書いた、信田さよ子さんの『なぜ人は自分を責めてしまうのか』では「当事者の言葉を専門家が奪っていってしまう」と書かれてありました。

本書は、専門的な内容を日常的な言葉に落とし込んで、わかりやすく書いてくださっており、専門家と当事者の間の距離を少し縮めてくれる本なのではないかな、と思います。

その点を考慮すると、一般人と専門家の橋渡し的な役割≒コミュニケーター的な本として、非常に価値のある一冊だと思いました。

何もしない、ただ聞くだけ、の不思議

本書のあとがきには「何もしない、ただ聞くだけ」という行為の、効能の不思議について書かれています。

くしくも先ほど紹介した、信田さよ子さんの『なぜ人は自分を責めてしまうのか』でも、オープンダイアローグやグループカウンセリングなどでの、同様の効果が書かれていました。

メカニズムや因果は本当に不思議そのものですが、やはり共通しているのは人とのつながりなのだな、と改めて感じました。

おわりに

新書で400ページ越えの本ですが、読書の習慣のない方でも、とても読みやすい一冊だと思います。

また、カウンセリングとは何か、について知ることで、自身を客観視することや、セルフカウンセリングをすることにも、繋がるのではないかな、と思いました。

内容をまとめるのに、ルーズリーフ6枚も使ったので、本当はもっと書きたいことがたくさんありますが、内容の深部に踏み込みすぎてしまうため、控えたいと思います。

ぜひ本書を購入して、読んでみることをお薦めします。

非常に価値のある本を世に送り出してくださり、著者の東畑さんには、心から感謝致します。

ありがとうございました。

大手企業所属Vtuberさんの炎上について考えたこと~「誹謗中傷か感想か」の議論を超えて~

大手企業所属Vtuberさんの、SNS上でのやりとりが物議を醸していました。

その問題ついての考察を通し、Vtuberさんとリスナーさん双方にとっての健全な活動環境を醸成する方法ついて、あれこれ考えたことを書いた記事です。

問題の概要

以下の記事をご覧ください。

www.inside-games.jp

結論

この記事の結論は、

「色々あったけど、誹謗中傷か感想か、のラベリングにこだわるより、心構えとか伝え方を工夫するなどして、まずリスナー側から働きかけて、お互いの健全な活動環境を築いていきませんか」という提案

です。

それではご覧ください。

誹謗中傷か感想か

誹謗中傷か感想か、賛否が分かれています。

Vtuberさんは、受け手の主観が基準だと主張されていました。

しかし、客観性も判断基準に含まれるはずなので、断定はできないと思います。

また、事実と異なるかどうかも、判断が難しそうです。

上っ面かどうかは主観的評価(経験的事実)であり、それぞれの内面について、客観的事実かどうかの判定は困難なのではないか、と思いました。

ただ、この判定について厳密に検証することも重要ではあるのですが、それと同じくらい大事な、目指すべき大目的、上位価値があるのではないか、とは思います。

それについては後述します。

リスナーさんのポストの内容について

事の発端となった、リスナーさんのポストの内容について、賛否が分かれています。

どのような問題点があったのでしょうか。

私が最も問題視しているのは、配慮が不十分な言葉選びにより、不誠実さの存在を断定した、と解釈できてしまう点です。

ポスト内容は、次の2通りの解釈が可能だと思います。

①ゲームを楽しむ技術が未熟、あるいは不足しており(こなしてる、上っ面撫でる)、その力量が、ゲームによっては伝わりやすくなってしまう(バレる)

技術面の巧拙とその伝わりやすさ、です。

 

そして、もう一つの解釈は、

②ゲームへの姿勢として、作品へのリスペクトや丁寧さを欠いた不誠実な気持ちや、あるべき誠実さを欠いた気持ちでプレイ(こなしてる、上っ面撫でる)しており、ゲームによっては、その不誠実さが隠せていない(バレる)

つまり、相手の内面の否定的断定とその露呈、です。

このような解釈も出来てしまいます。

 

ただ「上っ面に感じた」だけであれば、自分(リスナーさん)の内面について述べている側面が強いです。

しかし、先のリスナーさんのポストでは、

  • 相手(Vtuberさん)の内面について
  • 否定的要素(上っ面≒不誠実さ)の存在を断定し
  • それが真である前提で、自分の内面(バレやすさについての感じ方・評価)を述べた

という文章構成にも見えてしまうのです。

これは仕事で例えると、職場の同僚から「最近、仕事の出来が悪いぞ」と言われるのと「最近、仕事の手を抜いているのバレてるぞ」と言われることとの違いに近いものです。

努力の姿勢が、結果や評価に繋がらないことはまだ許容できますが、そもそも、努力の姿勢自体を持っていない、偽りがある、と断定されるのは、なかなかにつらく、悲しいことではないでしょうか。

 

恐らくですが、リスナーさんは①の解釈の意味でポストしたのだと思っています。

しかし、言葉選びに十分な丁寧さを欠いてしまっていたため、このようなすれ違いを生んでしまったのだと思います。

この点が、本ポストの問題点の本質であり、その点において、Vtuberさんは強いネガティブな感情を持ったのではないかな、と考えました。

リプライの内容について

Vtuberさんのリプライの内容についてです。

理想を言えば、感情を抑えて、自身の思いや考えを、理性的に返信できていればよかった、と第三者目線からは言えます。

ただ、個人的には、言い返したくなる気持ちには強く共感します。

自分が同じ状況に置かれた場合に、咄嗟に言い返すことも十分あり得るな、とも思います。

Vtuberさん、とりわけ大手企業所属の方は、表では見えていないところで、様々な心ない言葉を日常的に受けているでしょうから、それらが積み重なったが故の、今回の発言という側面もあるでしょう。

そういう意味で、Vtuberさんには同情してしまいます。

ですので、お相手の動機や、透けて見える人間性などにもよりますが、時には言い返す選択肢を持っていても良いのではないか、とは思ってしまいます。

リプライ自体の是非について

本問題では、ハッシュタグがなく、直接のリプライでもないポストに対して、Vtuberさんがリプライをしたことも、問題視されています。

結論、私の考えは、「許容範囲である」です。

理由は

  1. ハッシュタグがなく、直リプでもなかったとしても、Vtuberさんのサービスの利用方法(エゴサ&リプライ)は、技術仕様上、通常の利用方法の範囲内であり、問題のある方法とは言えないこと
  2. ユーザー側も、閲覧・返信の可能性を十分に考慮したポストができていなかった点や、個人名を含んでいた点において、相応の配慮が必要だったと考えること

の2点です。

よって、Vtuberさん側の問題はまったくないとまでは言えなくても、小さいと言えると考えます。

ファンネル攻撃への配慮について

自身の影響力を考えずにリプライしたことも、一つの問題点として挙げられています。

結果的にですが、ファンネル攻撃というものを誘発してしまいました。

※ファンネル攻撃とは

  1. Vtuberさんへのネガティブな発言をしたユーザーへ、Vtuberさんが何らかの反応をする
  2. その反応を見た複数のユーザーが、ネガティブ発言の主へ、攻撃的だったり、非難をするような発言をする

このような攻撃のことを指すようです。

ファンネル攻撃を招いてしまった責任は、一定程度あるとは思います。

しかし、Vtuberさん自身の責任は重くはないと考えています。

理由は

  1. リポストやスクリーンショットによる拡散ではなく、不快な発言をしたユーザー個人への閉鎖的リプライであり、拡散によるファンネル攻撃の意図はなかっただろうと推察されること
  2. ファンネル攻撃の責任の大部分は、実行したユーザー自身にあること

の2点です。

もし、ファンの方が正義感から行ったのだとしたら、事態が複雑化・重大化して、ただの悪化につながる可能性が高いため、今後は控えたほうが良いでしょう。

ファンを装ったアンチや、単なる愉快犯の場合は、行動改善は一朝一夕には実現できず、地味で地道な、辛抱強い対話や空気作りが求められると思います。

それだけで記事数本分になってしまうため、割愛します。

「誹謗中傷」と感じる、について

Vtuberさんが、長文ポスト内で「誹謗中傷」と感じる、と述べたことについても賛否を呼んでいます。

これについては、もっと慎重に言葉を選ぶべきでした。

理由は

  1. 法的措置も含む、誹謗中傷等への具体的対応実績がある企業に所属しており、「誹謗中傷」という言葉を使用することで、受け手へ強い心理的圧力を与える可能性があること

です。

法的措置等の現実性は置いておいても、誹謗中傷という言葉の重みや、ご自身の立場(影響力)への配慮が十分ではなかった、と言えるでしょう。

目指すべき上位価値

ここまで、いくつかの論点について私見を述べました。

これらについて、より厳密に考えることも、重要なことではあると思います。

ですが、例えば誹謗中傷か感想か、ということについて、多くの労力と時間を割いて白黒つけることにこだわるのは、本問題における本質的な部分に関わることなのでしょうか。

もし誹謗中傷ではないと確定したら、相手が不快になろうと、今後はかまわず言い続ける、ということになるのでしょうか。

逆に誹謗中傷に該当した場合、ちょっとでも不快だと感じる、似たような発言を見かけたら、片っ端から法的措置を講じるのでしょうか。

それによって、当事者や周りも納得し、問題が解消されるのでしょうか。

そこにこだわるよりも、同じかそれ以上に大事な、目指すべき上位価値、大目的というものがあるのではないでしょうか。

 

それは、お互いの理解と納得、歩み寄りであり、可能な限りの、お互いの満足の最大化と、不満の最小化の両立を実現することにあるはずです。

様々なトレードオフ関係が存在する中で、最適な落としどころを見つけ、お互いが気持ち良く活動できる状態を実現することであるはずです。

どちらかが一方的に我慢しなければならない状況・環境を是とし、強要するのは、現代における成熟したコミュニケーションでも、態度でも、姿勢でもない、と思います。

ですから、そういった上位価値の実現に向けて具体的アクションを起こしていくことのほうが重要だと、私は考えます。

健全な活動環境に向けてのアクション

では、より具体的に、健全な活動環境醸成へ向けて、どんなアクションを行っていけばよいのかを述べます。

ですが、その前に2点、大事な点を付け加えておきます。

  1. リスナー側のアクションについてのみ述べています。
    (理由については後述します。)
  2. これらのアクションは、私自身の戒めとしての意味もあり、現在進行形で失敗もしながら、試行錯誤している最中のものです。
    正直なところ、私もこれらのアクションを完璧に実践できている自信はありません。

その点を踏まえたうえでご覧いただけると幸いです。

心構え編(考え方・捉え方の工夫)

まずは心構えです。

  1. Vtuberさんの主体性の尊重
  2. 影響・背景・第三者の切り口で、想像力を働かせる

の2つの軸がポイントです。

Vtuberさんの主体性の尊重

基本的には、Vtuberさんの主体性を尊重し、自由な活動を楽しみましょう

否定的意見・感想を伝えるのは、健全な応援をし続け、関係性が築けてきてから

さらに、聞かれたとき、望んでいるとき。

そのうえで、十分な丁寧さ、配慮を重ねて伝える。

このようなスタンスでいるのがちょうどよい距離感でしょう。

特に、有名なVtuberさんだと、膨大な数の意見や要望が日常的に寄せられ、正直、食傷気味だと思います。

もちろん、このスタンスにもトレードオフが発生します。

リスナーさんの意見・感想にも、よりよい活動のためのヒントとなるものもあるからです。

ですが、受け入れるかどうか、最終的な結果責任を引き受けるのは、Vtuberさん自身です。

我々が、Vtuberさんの人生の責任を持てることなど、ほとんど在り得ません。

さらに、レッドオーシャンのVtuber業界で、やりたい(主体性)だけで活動しているVtuberさんは、ほとんどいらっしゃらないはず。

やりたい(主体性)と、やれる(能力)、やるべき(需要)の3つのバランスを常に考えながら、活動しているVtuberさんがほとんどだと思います。

我々が意見する程度のことは、だいたいVtuberさんは既に考えていると思っておく、と良いでしょう。

ですから、Vtuberさんの活動内容に踏み込みすぎず、静かに見守るぐらいがベターと考えます。

影響・背景・第三者の切り口で、想像力を働かせる

影響・背景・第三者の存在、という3つの切り口で、想像力を働かせることが大事だと思います。

これは、予防的側面や、事後的にも攻撃性の緩和のために有効な心構えとして機能します。

 

まず影響です。意味は分かりやすいですが、実際を想像するのは難しいですよね。

一旦、逆の立場を想像してみるのが良いと思います。

例えば、ポストする前に、もし自分がVtuberで、同じXのポストをもらったらどう思うか、を想像する。

それだけで、結構違ってくるのではないかな、と思います。

 

次に背景ですが、これは直接の原因ではなく、より背後にある原因を想像する、ということです。

例えば、「なぜ感想とも捉えられるポストに、感情的に反応したのか」を考えると、もちろん直接の原因は、本人にとって、不快な内容のポストを見たから、です。

では、背後にある原因は何でしょうか。

例えば、先ほども書きましたが、大手企業所属のVtuberさんともなれば、日常的に心無い言葉を受けることが多く、何度も傷ついてきた、というようなことが考えられます
それに対するストレス、怒りが募っていたため、さすがに耐えられなくなったのかもしれません。

また、配信、収録、企業案件、グッズ展開など、非常に多忙なスケジュールをこなしているでしょう。

ゲーム配信一つとっても、ただ配信をすれば良いわけでなく、サムネイル作りや、知的財産権・関連事項への、入念な確認も必要です。
この「多忙さ」や、それによる「心身の疲弊」、常に追い立てられ、期待に応えなければならない「心理的圧力」、そうならざるを得ない「業界の構造的問題」なども、背景として考えられます。

つまり、タレントさん個人の内側の問題だけではなく、問題を外に見出してみる、ということです。

これが、背景を考える際のコツであり、問題の外在化と言います。

これらは、我々リスナーがどうこうできる問題ではないため、想像しても無意味なのではないか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。

先ほど書いたように、予防的側面や、事後的な攻撃性の緩和のために有効な側面があります。

どういうことかというと、例えば、今回のようなことが起きても、事情(多忙さと心身の疲弊、日常的な心無い言葉など)を想像することで「まぁそうなるのもちょっとわかるわ」と共感を生み、当事者以外の第三者による攻撃性が緩和される、ということです。

 

このような想像ができると、ちょっと優しい世界になれるのではないかな、と思います。

 

そして、第三者の存在です。

これは、影響力と一部重なりますが、価値の多様性を想像する、という意味です。

例えば、あるリスナーさんにとっての、理想的なゲームへの向き合い方があって「このような深い楽しみが出来ていなければならない」と考えていたとします。

しかし、人によって「深い」の方向性は様々ですし、深い楽しみだけが、唯一絶対のゲームの楽しみ方とも言い切れません。

他のリスナーさんの中には、深い楽しみ方よりも、Vtuberさんが自由に、楽しくゲームプレイをされる配信そのものを好む方もいらっしゃるはず。

このように、自分以外の第三者の存在を想像することで、価値の多様さを認識するきっかけになる可能性があると考えます。

そうすることで、相手への伝え方が柔らかくなったり、建設的内容になったりする効果が期待できるのではないでしょうか。

技術編(伝え方の工夫)

技術編(伝える内容や方法の工夫)です。

心構え編をもとに、感想や意見を述べる際に、実際にどんな内容の文章を書いたら良いのか、ということについてお伝えします。

ポイントは

  1. 控えめな建設的提案
  2. 自身のポジティブな経験・体験の伝達

です。

 

例えば、今回不快な発言をしたポスト主は「自分の好きなゲームを、表面だけで、作業的にこなしてプレイしている!不快だ!」と感じたから、あのようなポストをした、と仮定します。

そのような場合には、上っ面だとか、作業的だとか、浅い、といった内容を伝える代わりに、より深くゲームを楽しめる方法だとか、ゲームの奥深さや魅力について、強制しない形で伝える内容のポストをすると良い、のではないでしょうか。

一例です。

〇〇(Vtuberさん)さんのゲーム配信見て、懐かしい気持ちになった。
今回の✖✖のシーン、初見では意味わからんかったけど、あとで考察サイトで調べたら、△△(キャラ)のあの発言、裏の意味があったって知って、当時鳥肌立ったの思い出したわ(笑)。

ネタバレになるから詳細は伏せるけど、世界観の作り込みえぐいから、特に人間関係の設定を深堀っていくと、もっとハマれそうな気がする。

というような形で伝えられれば、受け手は悪い気はしないのではないかな、と思います。

上記の文章で、各ポイントは、

  • 控えめな提案(~気がする)
  • 建設的(否定(上っ面)→魅力(世界観)・理想(設定の深堀り)への変換)
  • ポジティブな体験・経験の伝達(~知って、当時鳥肌立った~)

という形で当てはまります。

(※数学がお好きな方向けにお伝えすると、この手法は『対偶的伝達』と表現するとわかりやすいかもしれません。勝手にネーミングしました。)

念を押しておきますと、あくまでVtuberさんの自主性の尊重が基本です。

Vtuberさんにとっては、望んでもいないのに提案されても、余計なお世話だったり、指示だと感じられる可能性もあります。

どうしても伝えたいことがある場合には、上記のような伝え方が良いでしょう、というぐらいの認識で考えていただけると幸いです。

もしよろしければ、参考になさってみて下さい。

Vtuber側に肩を持ちすぎでは?

もしかしたら、お読みになっている方の中には「リスナーばかりに求めすぎでは?」「Vtuber側から変わるべき部分もあるのでは?」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。

おっしゃる通りそれは正論で、偏った主張であることは認めます。

先程書いたように、多少不快でも、活動の質的向上のヒントになる場合もあるため、リスナーさんからの意見などを受け入れたほうが良い、という考え方もできます。

リスナーさん側に過度な負担を求めると、ハードルが上がって気軽に意見ができなくなり、それがVtuber業界全体を衰退させることに繋がる、とも考えられます。

やはり、トレードオフなのだと思います。

ですが、たとえば本問題の事例を通して、Vtuberさん側が、理性的に返信できていればよかった、無視をするのが最善だった、感情と内容を切り分けて一つの感想として受け取るのがプロとしてあるべき対応だった、と一般的な正論を書くことはできます。

しかし、恐らくそれぐらいのことは、Vtuberさん側もわかっていて、それでもなお、抑えられなかった、ということなのだと思うのです。

過重労働や、蓄積されたストレス・疲労、慢性的な睡眠不足等で、心身ともに疲弊しているであろう人に、ただ正論をぶつけるという行為は、果たしてどこまで意味があるのだろうか、と思ったのです。

それに「お前が変われ」と言い続けているだけでは、事態は平行線のままか、さらに泥沼化していく可能性もあります。

それより、一時的に負荷があっても、リスナー側から変わろうと働きかけ、丁寧で配慮の行き届いた建設的な関わり・言葉が広まっていけば、いずれVtuberさん側も、その気遣いや配慮を感じ取ったり、心の余裕が生まれたりすることで、リスナー側の多少不快な内容の意見にも、耳を傾けてくれるようになったりするかもしれません。

ですから、改めて提案したいのです。

「リスナー側から働きかけて、お互いの健全な活動環境を築いていきませんか」と。

おわりに

この記事のコンセプトは、相田みつをさんの「セトモノ」という詩から来ています。

もし、よろしければ調べてみて下さい。

ネット空間と言えど、現実の人間関係の延長です。

やわらかい心を持って、人と関わっていきたいと思います。

(自身が、セトモノにならないように気を付ける必要はありますが…。)

ここまで、長文を読んでいただきありがとうございました。

本記事が、Vtuberさん、リスナーさん双方にとって、良好な活動環境醸成の一助になれていたら幸いです。

ANYCOLORさんの意識調査について考えたこと

VTuberグループ「にじさんじ」を運営するANYCOLORさんが、誹謗中傷対策の一環として実施した意識調査について、考えたことを記した記事です。www.j-cast.com

価値の大きい取り組み

今回の意識調査は、従来の対応からさらに一歩踏み込んだ、価値ある取り組みだと思います。
Xでのポストなどを見ても、肯定的意見や称賛の声が多く見られました。

より実効性を確保するために

誹謗中傷行為等への効果的な対策へ向け、根本的な原因や背景を多角的に理解するにあたり、こうすることでより実効性が確保できるのではないか、と思った点がいくつかあります。

それは、

  1. 専門家の協力
  2. 対面での意識調査

の2点です。以下で詳説します。

①専門家の協力

専門家の協力があることで、より根本的な原因や背景への多角的な理解につながるのではないか、と考えます。

今回の意識調査における回答者(加害者)の回答を見てみると、とても洗練化された文章が掲載されています。

回答者の言語化能力も異常に高く、事実認識、内省や自己分析、謝罪までの流れが、脚本化されたかのように非常に整っています。

恐らくですが、弁護士等の助言のもと、整備された文章なのでしょう。

ただ、そうだとしたら、本当に回答者の反省を促せたのか、あるいは根本原因に迫ることができたのか、という点はやや懸念されます。

取り繕い、事後的な自己正当化の可能性もあり得ます。また、承認欲求など、わかりやすく単純化された原因に帰結されている印象も受けます。

そこで、やはり専門家(例えば心理学者など)が必要になると思います。

回答に対しての、広範かつ深い分析や、あるいは回答者(加害者)自身へのアセスメント(理解力の程度や認知特性、価値観や規範意識など)により、より根本原因に迫っていくことができるのではないか、と考えました。

②対面でのヒアリング

専門家による対面でのヒアリングも、必要だと考えます。

今回は書面での質疑応答となりましたが、対面で行われたほうが望ましいでしょう。

対面での質疑応答であれば、書面には表れない表情や声色、微妙な感情の揺れなど、そこから透けて見える様々な非言語的な要素を捉えることができるでしょう。

また、回答に対して、深堀りしたい点などが出てきた場合にさらに聞き返したり、リアルタイムに臨機応変に対応でき、より根本原因に迫ることができるのではないか、と考えました。

善は微に入り細にわたって行わねばならない

善は微に入り細にわたって行わねばならない、という言葉があります。

心理学者の河合隼雄さんのお言葉です。

今回のANYCOLORさんの取り組みは、大まかな方向性として大賛成であり、素晴らしい取り組みだと思います。

そして、専門家による対面のヒアリングが実施されることで、より信憑性、正確性の担保された情報を提供することができ、価値ある啓発資料として多くの人に、誹謗中傷対策として蓋然性の高い認識を広めていくことができるでしょう。

それは延いては、誹謗中傷の根絶に向けた土壌の醸成に繋がっていくものと、信じております。

おわりに

根本原因や背景の多角的理解にあたり、そもそも設計段階で、専門家による協力があったほうが良いかもしれません。

VTuberさんを含むすべてのネットユーザーが、誹謗中傷から守られる社会の実現を強く願っております。

そのためにはまず、自分自身を省みる必要がありそうですが。

以上、承認欲求にまみれた机上の空論者でした。

 

Vtuberへの「傷つけない範囲での意見」の是非

とあるVTuberさんの配信を見ていたところ、リスナーさんから以下のような相談が届いたようで、配信内で紹介されていました。要約すると以下の通り。

企画やイベントへのタレントの不参加、方向性の違いによる卒業などの話題に対して、VTuber側は「妙な憶測や文句はNG」とリスナーへ注意喚起することがある。
しかし、客商売である以上、納得して飲み込めは違う気がする。
傷つけない範囲で意見を述べる権利はあると思うし、そのような意見が出てくるのも致し方ない。どう思いますか?

今回は、この相談について、あれこれ考えたことを書いた記事になります。

結論「控えたほうが良い」

私が出した結論は、基本的に「控えたほうが良い」です(特に憶測は)。

意見する権利、憶測する自由自体は、誰にでもあると思います。

ただ、例え傷つけない範囲であっても、言わないほうが良いと考えています。

理由は以下の通りです。

「傷つけない範囲」の主観性

傷つけない範囲での意見、というのは少なからず主観が含まれます

自分では冷静かつ理性的に意見しているつもりでも、客観的にそうではないケースも在り得ます。

お相手の受け取り方次第である部分も大きく、意図せず傷つけてしまう可能性もあります。

非常に高度な感情制御や言葉選びの技術が問われるため、意見する場合は、肯定的な内容の場合に留めたほうが無難だと考えました。

 

不特定多数の暴力性

インターネットは不特定多数の方が利用しているため、タレントさん、あるいは運営などの小集団への意見であっても、不特定多数による暴力性を帯びる可能性があります。

リスナー側は一対一で意見している感覚があるかもしれませんが、それを受け取るタレントさん、運営さんは、匿名の、大量の意見を受け取ることになります。

受け手への強い心理的圧力になる可能性があるため、やはり控えたほうが無難だと考えます。

自己決定感の重要性

意見は、タレントさんや運営さんへ、変容や改善を求めてなされるものだと思います。

しかし、あれやこれや外部から言うような、外発的要因では、人はなかなか変わらないものです。

なぜなら、人が納得して行動する重要な要素の一つが、自己決定感にあるのではないか、と思っているからです。

私の観測範囲で恐縮ですが、現実世界でもそうでしたし、明確な目標や夢のあるVTuberさんならなおのこと、一般の方よりも強い自己決定感が必要なお方も、多いのではないでしょうか。

自己決定感が薄ければ納得には繋がりにくいため、意見によって相手の変容や改善を期待するのは、あまり得策ではないのでは、というのが私の考えです。

動機の妥当性

意見や憶測をオンライン上で表明する動機の妥当性も、控えたほうが良いとする根拠の一つです。

何を言っているかというと、その意見や憶測は、本当にタレントさんのことを中心に思いやった動機から発せられているのか、ということです。

言い換えれば、承認欲求や自己顕示欲、単なる興味本位や、(数字稼ぎなどの)利己的動機、自己都合の支配欲など、別の動機も少なからず混在してないか、ということです。

それらの比率が高い場合には、建設的な意見や、価値のある憶測とはなりにくい印象がありますし、権利や資格という観点からも、やや疑問を感じます。

それらを自覚できずに表明してしまうリスクもありますから、やはり基本的には意見や憶測の表明は控えたほうがいいだろうと考えます。

ヘビーリスナーのケース

タレントさんを長年応援しているヘビーリスナーさんの場合はどうでしょうか。

好きだからこそ、本当に応援しているからこその意見表明というケースもあるかと思われます。

時間もお金も労力も、長年掛けてきたお方のケースです。

このケースは、一般リスナーに比べれば、権利や資格という観点では一定の妥当性はありそうな気もします。

ですが、やはりこれまで述べてきた理由により、基本的には控えたほうが妥当だと思われます。

ですが、どうしても伝えたい場合は、主観だけでなく、客観的な妥当性も注意深く吟味しつつ、余計な詮索を排除した、応援をベースとした内容(〇〇してくれたら嬉しいです!等)で伝えるのが良いかもしれません。

不誠実な対応のケース

タレントさん側が、不誠実な対応をしていた場合は、どうでしょうか。

例えば、正当な理由なく、約束を反故にしてしまうようなケースです。

その場合は、さすがに意見表明をされても致し方ないかなと。

ですが、このケースでも、理由が不明確なケースも少なくなく、感情的な決めつけはせずに、あくまで事実ベースで、理性的に表明する必要はあるでしょう。

おわりに

結局、意見の対象の程度や質、意見の内容の程度や質による、という抽象的な結論だとは思います。

ここで述べた内容は、まぁ恐らくほとんどのリスナーさんには改めて確認する必要もないようなことだと思いますが、自己満足で書いてしまいました。

以上、承認欲求と自己顕示欲にまみれた、机上の空論でした。

会田卓司さんの【国債で減税すべき理由】動画の感想

こちらの動画↓を視聴しての感想や考えたことについて書いた記事です。

【国債で減税すべき理由】政府支出「30兆円」足りない/「高市vs小泉」、総裁選の争点は?/日本財政「ワニの口」は存在しなかった!?/石破政権の緊縮財…

(楽待 RAKUMACHIチャンネルさんの動画です)

www.youtube.com

コストプッシュインフレ下の財政支出の是非

私が本動画で注目したのは、32:45~からの「コストプッシュインフレ下で財政支出を拡大するともっと悪性のインフレになってしまうのではないか?」という疑問への解説部分です。

なぜ注目したのかというと、以前私が書いた記事にて、同じような疑問を抱いたためです。
それは、コストプッシュインフレ+デマンドプルインフレのダブルパンチで物価は急上昇してはしまわないか、という疑問であり、その解決策を知りたかったからです。

cheesebeefbowl.hatenablog.com

 

これについて、会田さんは以下のように説明されています。

1982年から2022年までのコアcpiのデータを参照し計算する。
そうすると、輸入物価の前年比0%仮定では、ネットの資金需要(財政収支+企業貯蓄率。いずれも対GDP比)がマイナス5程度なら物価の上昇率は2.2%。悪性インフレにはならない。

要は、企業と政府を合わせてGDP比で5パーセントぐらいの支出なら、物価の上昇は、過去のデータを参照する限り、2.2%程度で、悪性インフレにはならない、ということを説明されています。

これを聞いて「これはすごい!コストプッシュインフレ下でも財政支出拡大、あるいは減税をしても良い理由を見つけられた!」と一瞬喜んだのですが、よくよく考えてみると少し気になる点もありました。

会田さんモデルの疑問点

会田さんのモデルに基づいた計算だと物価上昇は2.2%に留まりますが、以下の点で少し気になりました。

輸入物価前年比0%仮定

アメリカの政策金利引き下げが実施され、日米金利差縮小で、円安から円高に少し振れて行きそうな予感はあります。

なので輸入物価の上昇も抑えられる傾向になっていくかもしれません。

しかし、それでも不確実性の高い要素がまだまだ多く、輸入物価前年比0%とは、現実的にはいかないかもしれないな、とは思いました。

コアCPI採用の妥当性

計算に用いた物価上昇の時系列データは、コアCPIを採用されています。
コアCPIを採用された根拠はあると思うのですが、恐らく、総合CPIと比べて物価上昇は少し低く抑えられがちだと思われます。

我々の生活実感との乖離があるかもしれず、物価上昇の見積もりは低めに抑えられているかもしれない、と思いました。

採用データの質

計算に用いた物価上昇の時系列データは、1982年~2022年までのデータを用いられています。

そのデータの質、と表現していいのかわからないのですが、1990年代後半あたりからのデータはデフレ期に入っているように思われます。

そのデータを用いて、現在に当てはめてシミュレーションすることは、はたしてどこまで妥当なのだろうか、という点は少し気になりました。

デフレ期のデータも多く含まれている場合、やはり物価上昇は少し低めに抑えられているかもしれず、現在に当てはめてシミュレーション通りに支出を増やすと、大きく物価が上昇する可能性もあるな、と思いました。

終わりに

やはり、コストプッシュインフレ下では財政支出や減税は、他の政策とも合わせてかなり慎重に行わなければならないな、と思います。コストプッシュインフレ退治本当にめんどくさいです。